【2008】廃線の危機を乗り越えたローカル線 「北条鉄道まつり」スタート!|History of はりま

JR加古川線に接続する旧国鉄の支線で、唯一存続する北条鉄道。
今、このローカル線が全国から注目を集めている。
赤字ローカル線の廃止が相次ぐ中、なぜ北条鉄道は再生できたのか。
その秘密を平成の歴史と共に探っていく。
2024年で開通から111年 北条鉄道のあゆみ
1913年(大正2年)、播州鉄道株式会社によって開業した北条線。
その後、国鉄化を経て、1985年(昭和60年)兵庫県や加西市の出資を受けながら北条鉄道株式会社が運営する第3セクターになった。
開業時から赤字続きで廃線か存続かが問われ続けてきたが、2005年に基金が底をつき、いよいよ鉄道廃止の声が聞かれるようになった。
ユニークな取り組みで沿線住民を巻き込む
そんな中、2005年5月に加西市の新市長に就任した中川暢三氏が「北条鉄道の維持と再生」を宣言。
北条鉄道の社長に就任し、全国初の「ボランティア駅長」制度を導入するなどの経営改革に乗り出した。
そして2008年、沿線を丸ごと使って様々な催しや展示などを行う北条鉄道まつりを初開催。
一日体験教室を開くなど各駅の駅長も大活躍し、沿線住民の関心を集めていった。
東北からやってきた"最新"車両は1979年生まれ!
様々な取り組みが功を奏し、利用者数が増加した北条鉄道。
次なる課題として持ち上がったのが、「増便のための車両確保」だった。
新たな車両の製造には2億円以上の費用がかかるため、譲渡可能な車両がないかを全国の鉄道会社に問い合わせたところ、JR東日本より提案があったのがキハ40形であった。
車両の購入や輸送、改修にかかる費用は、株主である加西市が負担するほか 、クラウドファンディングを実施。
このレトロ列車の導入で乗客が急増し、2021年度の運賃収入は過去最高の8,300万円を計上した。
沿線住民からも鉄道ファンからも愛される北条鉄道。
平成の廃線の危機を乗り越え令和に受け継がれたローカル線から、これからも目が離せない。
2008年はどんな年?
AppleからスマートフォンiPhone 3Gが日本を含む22か国で発売され一世を風靡した。
夏に行われた2008北京五輪では、日本は金メダル9つを含むメダル25個を獲得するなど健闘を見せた。
そして、ノーベル賞では、物理学と化学の2部門で日本人4人が受賞を果たすなど、各界のエキスパートの活躍が認められた年でもある。
松下電器産業が海外展開向けの「Panasonic」にブランドを統一しパナソニック株式会社に社名変更したのもこの年。